Monthly Archives: January 2011

surfEXPLORE Ghana in Glide, Japan

GHANA ガーナ。終わりなき夏を求めて、一路アフリカ大陸へ photographs John S. Callahan story Sam Bleakley (translation MIO Kawazoe) 西アフリカのギニア湾に面するガーナは539キロに及ぶ沿岸を有する。フレンドリーなローカル、安定した政情、安い物価、少ないサーファー人口という条件のため、イギリス人サーファーに人気なサーフデスティネーションだ。陽気な西アフリカ文化も手伝い、どっぷりとハマってしまうサーファーが多いのが特徴的。 ベストシーズンは、4〜6ftほどのスウェルがコンスタントに入る4〜9月。日中は海風が入ってコンディションが乱されるため、早朝サーフが必須となる。気候は多湿なトロピカルで、年間平均気温は23〜32度。5〜6月の雨季には、土砂降りで気温が軽減されることもある。水温は平均26度ほどのため、基本的にはボードショーツのみでOK。しかし、8〜9月だけはスプリングも準備しておいた方が良い。 ビーチブレイク、リーフ、河口、ポイントブレイクとバラエティ豊かなサーフスポット。首都アクラにはソフトなビーチブレイクしかないが、ナイトライフも楽しみたいものにはお勧め。ちなみに、66年のサーフムービー“エンドレス・サマー”でマイク・ヒンソンとロバート・オーガストがローカルキッズにサーフィンを教えたのがアクラであったが、ほぼローカルのサーフカルチャーが存在しない。 私が初めてガーナを訪れた時、最も衝撃的であったのはアクラ東部の沿岸に無数の難波船が放置されていたこと。どれも、保険金目的であったと言う。「エンドレス・サマー2のリサーチで来た時も、同じ光景が広がっていたよ」と、トリップメンバーであったランディ・ラリックは話した。「さらにひどくなってるね。だから、難波船を避けようと東部から離れたんだ。そこで発見したのが、メローなライトハンダーがブレイクするフェーテさ。カレントでパドルはきついんだけど、ローカルとの交流が最高だった。フィッシャーマンがボートで波に乗る事もあって、お互いにレースをしたりでね」。 「ブルース・ブラウンに頼まれて、エンドレス・サマー2の場所探しとしてガーナに戻ってきたのは90年代初期のこと。ブルースは、ガーナでサーフカルチャーが盛り上がってるはずって言ってたんだ」。ランディは水上飛行機で沿岸を探し回ってみたものの、サーフカルチャーなど皆無であったと言う。さらに、ポータブルVHSプレイヤーを持参し、出会う人に当時の映像を見せて回ってみたが、誰一人として覚えているものすらいなかった。「唯一の収穫は、ビーチのルールが記されたサーフボードがあった事くらいかな。オーナーに売ってくれとせがんで、それをお土産としてブルースにプレゼントしたよ」。そんな裏話もあり、エンドレス・サマー2では、ガーナが除外される事となった。 なかなかサーフィンが根付かないガーナではあるが、ようやくイギリスからサーファーが足を運ぶようになった。最も人気なエリアは、ブスア・ビーチとその近場のディクスコーヴ。目を見張るような熱帯特有の光景に囲まれたイージーなライトハンダーで、混雑とは無縁のスポット。頼れる存在はブラックスター・サーフショップで、宿、食事、サーフスクール、ボードレンタルを提供している(www.blackstarsurfshop.com)。ガーナのベストウェイブを体験したいなら、ここから車でわずかな距離にあるケープスリー・ポイント。南端に位置する同ポイントは、その名の通りポイントブレイクが3つある。一つ目は一番サイズがあり、二つ目は最もクリーンなベストコンディションで、三つ目はゆったりとしたスローウェイブとなっている。

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surfEXPLORE Algeria feature in BeachBrother, France

Text © Erwan Simon / surfEXPLORE Exploration nord-africaine Le surfeur et explorateur Erwan Simon n’est pas vraiment le genre à apprécier les spots surpeuplés et surmédiatisés. Au printemps dernier, il est ainsi parti avec quell-ques autres surfeurs explorer les côtes tunisiennes … Continue reading

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surfEXPLORE Wanning, China feature in Surf Trip Journal, Japan

Text © Sam Bleakley & Translation by Susumu Nakano (Surf Trip Journal) ヒマワリは中国人にとって長寿の象徴だ。ヒマワリの花には何千という種子がつく。その種子は最も過酷な環境のもとでも芽を出し、花は光が差す方向に顔を向け、「私は生きています!」ということを声高にアピールする。サーフィンは中国の海南島において新しい文化的ヒマワリのような存在で、島の南東海岸部の万寧市でサーフィンは大いに繁栄し、華やいでいる。夏場の万寧市はフラットになり、静かにその時を待ちながらじめっとした暑さを耐えることになるが、涼しい北東の季節風が吹く10〜4月になると、南シナ海は明るいグリーンから冷たい鋼のような色に変化し、大きく動き始める。その変化はまるで猫から虎へと変身を遂げたかのようだ。しかし、これはサーファーにとって嬉しい変化に間違いない。荒々しいうねりが石梅湾や南陽湾、日月湾にある岩場の突端や岬に押し寄せ、オフショアの風と相まって形が整えられて、サーファーの欲求を満たすことになる。うねり、風、カレント、海底の状態といった条件がバンドのように絡み合って素晴らしいメロディを奏でて、この時期にクライマックスを迎えるのだ。 中国語でのサーフィン=冲浪は、文字通りの意味でいうと「波に入ること」である。波を乗っ取ることでも支配することでもない。そして、ここ8年ほどの間に香港の人達が海南島の「波に入って」きて、サーフィンを楽しむ文化が芽生えてきた。夏が間髪入れず冬へと移行し、強く斬りつけるような風が日月湾にサーファーのロマンをもたらすころ、「ママズ・レストラン」を営むママの息子で、サーファーとして成長したホワン・ウェンとホワン・ニンのレギュラー・フッター二人は、そのレフトのポイントの波を存分に堪能するのである。近年では日本人を含めた外国人サーファーの増加に伴い、レンタル・ボードの数や質が充実し、アジアの中でも最もエキサイティングなサーフ・シーンを目にできる場所の一つになった。 観光地である海南島の三亜市にはサーフショップ(ブレンダン・シェリダンの『サーフィン海南』とダハイ・ジャンの『チャイナ・サーフ三亜』)が2軒並び、経済的な中心地になっている。ダハイは中国本土の北部に位置する氷で覆われた哈爾浜から、この亜熱帯の三亜市に7年前に引っ越してきて、ライフガードやスキューバ・ダイバーとして働いていた。そんな彼が日本人旅行客にサーフィンを教えてもらい、サーフィンに目覚めたようだ。万寧市は三亜市からクルマで約1時間北の所に位置し、中国の大多数の地域が高度な都市として発展を続けているのとは対照的に、手つかずの自然が大部分を占める海岸地域である。北東からの季節風が五指山の玄武岩でできた丘陵地帯を抜けて一ヵ所に集中し、オフショアの風をもたらす。そして、きれいに整った波の恩恵を受けたローカルのサーファー達は、毎年、日月湾で「サーフィン海南島オープン」というお祭り騒ぎを行うのである。そのような背景が影響して、この3年でビジター・サーファーの数も3倍に増えた。 特筆すべきは、行政がこの事実を公式に認識しているということである。観光局の局長が理解を示し、「万寧国際サーフィン・フェスティバル」の開催という前向きな計画を立案しているのだ。その局長は「これは地元のサーフィン文化発展に大きく寄与し、サーフィンを通じて海南島が国際的な観光地であることを知らしめている」と述べている。また、「情熱の海岸線、サーフィン万寧」というテーマを掲げて、環境的なメッセージも発信している。万寧市の副市長も同時に「この『万寧国際サーフィン・フェスティバル』は、中国本土や世界に向けて万寧をプロモーションする象徴的なイベントになるだろう」と語っている。各地域にはそれぞれの思惑があるだろうが、それらを越えた大義———つまりは海南島でのサーフィンの文化的、産業的な発展を促し、サーフィンが国家的に大きな可能性を秘めているというメッセージを国内外に発信することーーーは共通で持っているのである。結局のところ、大量のサーフボード、エクイップメント、衣料品、ウエット・スーツが、すでにこの中国で作られ、世界中で売られているのだから。 観光局局長は、どうしたら万寧国際サーフィン・フェスティバルの開催計画を最も効果のある方法で進められるのか、そのことについてのオープンな意見交換を熱望した。そこで、世界的なサーフィン事情に熟知しながら、コマーシャル的アイコンとしての可能性を秘め、何よりサーフィン海南島オープンでレベルの高いデモンストレーションを行える人物を招くことにしたのだった。有名なスポーツ・エージェンシーであるユー・ファースト・スポーツ上海とビジネス契約を締結し、海南島ユニストーン・カルチュラル・コミュニケーションズとパートナーシップを結んで、まずはプロジェクトがスタート。そして、ユー・ファースト・スポーツ上海の敏腕マネージング・ディレクターであるラファエル・ペレス・ナバゾが、国際的に広く知られているサーファーであり、ライターであり、旅人であり、文化大使であり、環境大使であるカリフォルニアのホリー・ベックにコンタクトを取った。そのホリーはサーフ・エクスプロア・チーム(フォトグラファーのジョン・キャラハン、エミリアーノ・カタルディ、イーワン・サイモン、そして僕、サム・ブレークレー)とカリフォルニアのキム・メイヤー、そしてロバート“ウイングナット”ウィーバーも招待することを提案した。こうして集まった「インターナショナル・サイト・インスペクション・チーム」は、万寧市の海岸線を探査し、記録し、それから万寧国際サーフィン・フェスティバルに参加———すなわち記者会見や食事会、サーフィンのデモンストレーション、セミナー、そしてサーフィン海南島オープンの開会式と閉会式への出席———することになった。 私達は彼らの大きな期待を感じながら海南島に到着し、素晴らしい料理による歓待を受けた。私達の前には、上品な味わいのエビのガーリック揚げ、ココナッツ・ライス、イカ、タイ、野菜が並べられ、私達はそれらを食べた。ラーメンやホウレンソウ、茹でた文昌チキン、スパイシー・チリ豆腐なども小皿に分けられて並べられ、締めにはライチやスターフルーツが出てきた。すべてのコースの後には乾杯(中国語では干杯=ガンベイと言う)が要求される。招かれているゲストとしては、すべての主賓と乾杯を交わさなければならない。中国のことわざには「もしあなたが食事に招かれてもしらふでいるのなら、あなたは心からその席を楽しんでいるわけではない」というものがあるのだ。 私達は石梅湾にあるル・メルディアン・ホテルにベースを置き、温泉街、シン・ロンのコーヒー・ハウス、花崗岩でできたドーム状の建物、黄金の大仏を通り過ぎていった。さらに万寧市営アパートを縫うようにして上って行く。この辺りは屋台から漂ってくる食べ物の匂いと、バイクの煙の匂いが入り交じっている。紅安の港では、女の人達の一団が緑色の魚の網を解き、繕っている。その横では船から水揚げされた新鮮な魚が手早く下ろされ、はらわたを取り除かれた上に水できれいに洗われて、ランチの下処理が行われていた。 そういった光景を目にしながら進んでいき、私達はついに陝北に位置する北向きのビーチに到着した。しかし、海は潮の干満によって小さな波が寄せたり引いたりしているだけで、サーフィンには厳しい状況だ。私達は光の反射でキラキラと輝く緑色の穏やかな海面を見つめながら、波がサイズ・アップすることを熱望しつつ小さな波にちょっとだけ乗った。そのうち波がまったくなくなってしまったが、それでも波が上がってくるという予報だったので、私達はそれに希望を託し、ビーチを後にしたのだった。 そして、虎はついに目覚めた。ようやくしっかりとしたうねりが届いたのだ。日月湾のポイント・ブレイクでは長く、そして美しい波が割れていた。うねりはまるでリズムを取っているかのように一定のサイクルでやってきては私達を喜ばせた。波と風が見事なハーモニーを生み出す。私はグレイトフル・デッドの「チャイナ・キャット・サンフラワー」という曲を思い出した。グレイトフル・デッドは1965年にサンフランシスコで結成されたバンドだ。当時、多くの中国人がサンフランシスコに移民してきたことから、一大チャイナ・タウンが形成され、中国文化の台頭を目の当たりにした彼らは、男っぽく、絡み合うようなギター・サウンドや難解な詩を主体として曲を作り上げたのだった。当てるのが難しいけれど、美しい万寧の波を心に描き、海岸線をさまよったことは、私にとって彼らの音楽を聴いているようなとても楽しい出来事だった。波がサイズ・アップするにつれ、海の色は黄緑色から銅のような色に変化していき、私達の体内ではアドレナリンが駆け巡っていった。私達は波に乗り、そのセッションを心ゆくまで堪能した。そして、中国のサーフィンの大きな可能性を感じることになった。 翌朝も波は続き、石梅湾のビーチで魅力的な波を味わうことができたし、それから私達は、ずっと気になっていた湾の所にあるゴルフ場下のポイント・ブレイクをチェックし、そこの波に乗ることもできた。 その後、波は日月湾で行われた海南島オープンの日まで衰えることはなかった。海南島の行政府は万寧市の各地に無料のバスを走らせ、イベントへの集客を促した。すると、当日は9時ごろまでに4,000人以上の観客がビーチに押し寄せることになった。その観客達は、外国人サーファーがエッジの効いたサーフィンをするのを見て酔いしれていた。 最終日の夕暮れがやってきた。私達は夕陽がゆっくりと水平線の向こうに消えていくのを眺めながら、素晴らしい食事に舌鼓を打った。参加したサーファー達はみな、心地よい疲れを感じていたことだろう。この旅はある意味、とてもスピリチュアルな経験だった。私達は行政による商業的な投資以上に、中国でのリアルなサーフィンの始まりを目の当たりにしたのだ。 私はいつか再び中国を訪れ、猫から虎へと変化した万寧の波でまたサーフィンしたい。そしてその時には、ローカル・サーファーという名のヒマワリの種子が芽を出し、万寧の波をクルーズしているかもしれない。もしそうなったら、私は彼らと波の上で素晴らしい時間をシェアできることだろう.

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Mayumba, Gabon in NALU, Japan

Text extract from Longboard & Freeride © Sam Bleakley “…The mesmerising section is the inside, third point, where the chaotic wind-churned tumult of the Roaring Forties gathers into a predictable rhythm and the offshore combs the wavefaces in killer form. If … Continue reading

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Dokument Films Wanning Surf Festival

http://www.vimeo.com/18430598

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Kernow Kalling Interview

http://kernowkalling.blogspot.com/2011/01/interview-sam-bleakley.html Sam Bleakley is a multiple British and European surfing champion, has a Masters in Geography from Cambridge and competed on the Oxbow WLT for ten years. He is a regular contributor to magazines and publications all over the world … Continue reading

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Cornwall Today

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